[ 2011年08月14日 ~ 2011年08月15日 / 下田市 ]
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下田港に近い下田市の旧町内に400年余りも続く夏の行事がある。
江戸時代、下田は東西の海上交通の中継点で、幕府によって下田奉行が置かれた。しかし戦国時代の波をかぶった下田は疲弊していた。2代奉行・今村伝四郎正長は、下田の民が元気になり、一丸になれるようにと、大阪夏の陣に勝利した徳川家康が大阪城に入場したときの、戦争終結、平和到来を告げる陣太鼓を伝え、地元の守護神・下田八幡神社例大祭の行事として地元の人たちにより受け継がれてきた。
初日は神社から、2メートルの棒の先にそれぞれ榊(さかき)、矛(ほこ)、四神(ししん)をつけた小神輿「道具」を若い衆がかつぎ、肉襦袢を着た「中老」がかつぐ800キロの「神輿」、人形飾りを乗せた山車「太鼓台」が出発、台の後を太鼓、三味線、笛が演奏しながら町内を進む。要所にさしかかると、道具を組み合わせ、アーチ状の「太鼓橋」を作る。道具進行の掛け声で11基の道具が一列に並び、横棒をロープでつなぎ、号令に合わせて一気に押し上げ、美しい半円が現れると、観客から拍手が沸く。祭りの花形で、2日間に14回披露される。
14日の夜は宵宮で、太鼓台が集結、揃え打ちで町内を轟かせ、締めの花火が夜空を彩る。15日は町内を練った行列を神社に戻そうとする役員衆と、祭りが終わるのを惜しむ若衆の葛藤のあと、太鼓台は各町内を回って祭りが無事に終わったことを報告、深夜までお囃子を奏でる。
なまこ壁や昔ながらの家並みが残る旧町内を進む行列はカラフルで、夜の提灯を点けた太鼓台も趣がある。道具、神輿は2階から見下ろしてはならないとされ、下田の人たちが今も、下田奉行の精神を受け継いでいることを示している。















